2007年08月01日  僕は、君と行く。

今日は、気温もあがり、夏らしいニューヨークになった。
今日も、川面に跳ね返った太陽の光で目を醒ました。 
ジムに行き、朝早いうちの電話会議があったので、
家で少し仕事をしてから、車で仕事場に向かった。

今日は、クリントン元大統領と会うことになっていた。
クリントンは、僕の彼女の憧れの人だった。 
在任中は、色々なスキャンダルもあったけれども、
引退後にはじめた人権運動には、彼の熱意と行動力を感じた。

彼女は、国連のフードプログラムか、
エイズ他の人権問題の領域で働きたいと言う夢を持っていた。

大学を出て、いくつかの仕事をした後に、
彼女は、5年の間、普通の会社のOLとして働いていた。

しかし、OLとして働き続ける自分に疑問を感じ、
本当に自分がやりたい事は何か?を問い続け、結果としてボランティア、
人権問題に身を投じて社会に貢献したいと言う結論に達した。

その為に、彼女は、安定したOLの生活をを辞め、
昼間は、二つのバイトをこなしながら、夜学で大学院に戻った。
彼女が、その決断をした時には、彼女は、既に30歳を超えていた。

学校では、10歳近くも年の離れた子供達に混じって授業を受け続けた。 
いくつかのインターンシップ(無償の試験採用)も経験した。

自分は、既に30半ばで、社会経験も十分にあるのに、
大学に入ったばかりの20そこそこの子供達と同等に扱われて、
悔し涙にくれた事も何度もあった。

でも、自分の将来のために必要な事だからとプライドを捨て頑張り続けた。

いくら自由の国、アメリカと言っても、30半ばの女性が、
新卒の若者と就職戦線で争っていくのは、大変な事だった。
彼女は、焦り、後悔し、自分のプライドをかなぐり捨て、
自分の夢のために全てをかけた。

何度も悔し涙にくれ、僕も彼女と一緒に泣いた。
そして、彼女は、夢半ばで力尽き逝った。。

僕は、クリントン元大統領とのミーティングに出かける前に、
自分の仕事場の机においてある彼女の写真を見つめていた。

そして、彼女の写真を額の中から取り出し、上着のうちポケットに入れた。
”君の憧れの人とのミーティングに、僕は、君を連れて行くよ。”

と僕は、上着のポケットに手を当てながら、彼女に語りかけた。
彼女への想いだけが、今の僕を生かせている。 
仕事場を出て、通りを見上げると、
摩天楼の隙間から真夏の太陽がギラギラと照らしていた。

僕は、目を細めてそれを一瞬見た後、車に乗り込み、ハーレムを目指した。
僕は、君を連れて行くよ。。


  そう、彼女とは、これから先もずっと一緒。
  彼女が死ぬ前に、一度僕に言ったことがある。
  ”アタシが、死んだら、ちゃんと新しい素敵な彼女を見つけるんだよ。”って。
  僕が、”君が死んでも、僕は、君の事が好きだから。”って言ったら、
  彼女は、笑いながら首を振って、”アタシが死んでもアタシを好きなのは、当たり前よ。
 でも、他の人も好きになりなさい。 貴方が死んで、アタシのところに来た時には、
 どんな女からも貴方を取り返して見せるから。 
 だから、アタシを思っていてくれる気持ちがあれば、
 他の人を好きになっても良いんだよ。”と言って、また笑ったんだ。
 今でも、彼女のその顔を覚えている。



2007年08月02日  馬鹿

仕事は、相変らず厳しい状況が続いている。
今日も、投資家の連中と、問題の打開策について話し合った。

投資家達は、僕の案にあまりよい顔をしていない。
彼らは、僕のプランを、”自殺行為に近い、馬鹿馬鹿しい案だ。”と酷評した。

彼らの提案は、要は、会社の趣旨を曲げて、価値を高めて見せて、
大手に高値で売り抜けると言う投資家らしい常套手段だ。
小利口に立ち回るのであれば、それが正しい選択だろう。

でも僕らは、投資家達に既に十分の利益を与えてきた。
もう既に十分義理を果たしたはずだ。

これは、利益だけを目指したプランではなく、
会社の理想を何処に持つかと言う理念の問題だ。 
儲ければ良いと言う事ではない。
何をするのかと言う理念の問題なのだ。

恐らく、純粋に経済的に考えれば、彼らの言っている事は正しい。
僕のやろうとしている事は、馬鹿げているし自殺行為に近いかもしれない。

それでも、僕は、やらなければならない時があると思うし、
それが、今だと信じている。

投資家の白人が、
”カミカゼじゃないんだ。 これは、ビジネスなんだから。”と
吐き捨てるように言った。

僕は、男であれば、ここと言うところでは、確立が低くても、
自分の理念を通す為に闘うべきだと信じている。金が全てではない。
ただ、プロフェッショナルな白人の投資家から見れば、
僕は、現実離れした馬鹿な理想主義者に見えるようだ。

所詮、白人からしてみれば、日本人の僕は時代遅れのカミカゼなのだろう。 

その昔、桜花と言う特攻兵器があった。 
爆弾にロケットを取り付け、人間が運転してそのまま体当たりすると言う確かに、
哀しい兵器だった。 当時、アメリカ軍は、
その兵器に、Baka Bomb(馬鹿爆弾)と言うコードネームをつけた。

彼らにとっては、馬鹿爆弾なのだろう。 
そして、彼らから見れば、僕は、馬鹿者なのだろう。

馬鹿者で結構。日本男児の死に様を金が全ての毛唐に見せつけてやろう。

体当たりをしながらボロボロになって力尽きて墜ちていっても、
その後姿を見て、僕らが目指した理想を実現しようと後に続くものが、
必ずいると僕は、信じている。
後からついてくるもののために、僕は喜んで捨石になるつもりだ。
最後まで僕は、諦めない。



2007年08月15日  日本での10日間

日本を離れてから、こんなに長い時間、日本にいたことは、なかった。
10日間、色々な事をして、自分が日本人である事を再確認できたと思う。 

今回の旅は、僕にとっては、日本人としての気概を取り戻し、
日本人としての覚悟を決める旅立ったと思う。

8月4日に成田に降り立ち、自分のアパートに行き、
着替えをして、車に飛び乗り、そのまま富士山麓にある霊園に向かった。 

そこには、僕が、最初に命をかけて愛した人の墓がある。 
身寄りの無い彼女の墓を、僕は、20年以上守っている。
霊園に向かい、久しぶりに墓の手入れをして、墓の管理者と話をして、
永代供養の契約をした。 これで、僕は、いつでも死ぬ事ができる。

久しぶりに、彼女の墓の前に座り、
ここ何年か僕に起こった様々の事柄を彼女に報告した。 
僕が、また命をかけた恋に落ちた事、そしてその彼女を、
病気で失った事、自分の仕事の事、生きる覚悟の事、
死ぬ覚悟の事、自分の一生は、自分で決める事、、。

たくさんの事を墓の下で眠る彼女に報告をした。
富士山を眺めながら、芝生の上に腰を下ろし、
タバコを吸いながら、何時間も話し続けた。。

週末が、開けると日本での仕事を片付けるべく狂ったように働いた。 
昼も夜もなかった。 ただ、力の限り、闘い続けた。。

週の後半には、名古屋、浜松での仕事があり、
最初は、新幹線で移動をしようと思っていたけれど、
考え直し、自分で車を運転する事にした。

久しぶりにポルシェを引っ張りだし、
お盆の帰省前の東名高速を西に飛ばした。仕事を終えて、
静岡で友達に会おうとしたが、想い叶わず、
そのまま車を東に飛ばして、東京に帰る事にした。

仕事にフェラーリやポルシェで乗り付けるべきではないと、
昔、先輩に言われた事があるが、僕は、僕だ。。 
久しぶりに、闇夜の東名高速を満喫する事ができた。。 
孤独を楽しむには、速い車が、僕に取っては、一番だ。。

最初は、10日にアメリカに帰るはずだったが、
13日に急の仕事が入ったので、14日まで日本にいる事にした。

週末をどうしようかと考えていると、たまたま中学の友達から、
30年ぶりに連絡があり、
11日に中学の同窓会が、30年ぶりに開かれる事を知った。

ふと顔を出してみようと思い、僕は、同窓会に出席し、
30年ぶりに中学の友達と再会をした。。 
すっかり変わってしまった僕に、友達は、全員驚き、”外人”と呼ばれた。。

確かに、彼らからしてみれば、僕は、”外人”かもしれない。。。 
でも、心の中は、お前らよりも日本人だぜ。。。
そう思いながら、昔話に花を咲かせた。。

13日の仕事をこなし、14日の朝の飛行機でニューヨークへと旅立った。
僕は、ここで闘い続ける。 日本人としての誇りを持って。。
ちからの限り闘い続ける。

いずれ力つきて、倒れる事はわかっている。
勝つ事が全てではない。。 負ける事がわかっていても、
闘わなければいけないことが、ある。 僕には、それが、わかっている。
僕は、自分の闘い様を、まわりに十分見せつけてやろう。 

死に花を咲かせてこそ、日本男児だ。。
久しぶりに眺めた富士山の姿を思い浮かべながら、異国の地で、闘う僕がいる。。
まだ、闘える。。 まだ、闘える。。



2007年08月16日  一騎当千

日本に長くいすぎたので、ちょっと時差ボケがでるかな?と思ったが、
ニューヨークに帰ったその日に、いつものように働いて、
夜は、友達と飲みに行ったので、結局、時差ボケにはならなかった。

友達と韓国焼き肉に行き、焼き肉をしこたまと韓国ビールと焼酎で、
家に帰った時には、何もせずに、崩れるようにベッドに倒れ込み寝てしまった。

お陰で、5時半に朝日で目が覚めるまで、一度も目を醒ます事は無かった。
5時半に起きて、部屋を片付けて、ジムに向かった。

ジムについたのは、ちょっと早かったが、パーソナルトレーナーは、
既にジムにいて、僕が、来ると、”久しぶり!”と手を振った。

日本にいる間は、毎朝、腹筋を200回と腕立て伏せを
100回やってはいたけれど、ジムに行く時間は、なかったので、
久しぶりのジムには、すっかりねをあげてしまった。

僕が、ぜーぜーしていると、トレーナーの彼女は、嬉しそうにニコニコしていた。 
こんな年寄りを苛めてニコニコしているのだから、
きっとSに違いないと思いながら、僕は与えられたメニュをせっせとこなした。

彼女は、髪の毛を黒く染めていた。 
どうやら新しい彼氏ができたらしい。(笑) 
彼女の恋愛相談に乗りながら、僕は、汗をかきかき、
ヘロヘロになりながら、なんとか二時間のメニュを消化した。

やっとジムが終わり、彼女と別れ、僕は、シャワーを浴びて
着替えを素早くすませ、車に飛び乗って仕事場に向かった。

ヨーロッパに送り込む新しい社員が、
昨日からニューヨークで働き始めたので、一日、彼の相手をした。 
半年で基本を畳み込み、
ヨーロッパに送り込まないといけないので、あまり時間がない。

殆どつきっきりで、彼の相手をした。 
あまりの綿密な準備と大胆な計画の為に、
彼は、一日中、目を白黒させていたが、僕らにとっては、これは朝飯前の仕事だ。

でも彼は、目を白黒させながらも、僕らの一員になった事を楽しんでいるようだ。 
百戦錬磨の猛者に囲まれて、自分もその一員になった事で興奮しているようだった。

一騎当千
これが、僕が、僕の従業員に求めているものだ。
その重圧に押しつぶされたり、人生をそれに賭ける事ができないものは、
僕の下を離れて行った。

そして、僕の下に留まった者達は、文字通り、一騎当千になり、
彼らは、まだ僕と行動をともにしている。

新しく仲間に加わった彼が、果たして、僕と行動をともにするのか、
それとも別の道を行くのか、今の時点では、全く想像もつかない。
ただ彼の武者震いを見ていると、自分の若いときを思い出し、
僕も気分が一新させられる。

早速、彼にプロジェクトを一つ任せ、僕と一緒にチームを組む事にした。

”そこの若いの。 
 俺が年寄りだと思って甘く見るなよ。 
 振り落とされないように、しっかりとついてきな。” 

僕は、振り返り、彼にそう言い放って、微笑んでみせた。



2007年08月21日  霧雨

今回の日本行きは、色々な意味で、僕にとって、
けじめの旅であり、覚悟を決める旅になった。

何年ぶりに、昔の彼女の墓を詣で、心の奥で何時間も彼女に語りかけた。
20数年前の自分に戻った気がした。

彼女に語りかける事で、僕は、自分の人生を振り返えり
総括をしたような気がする。
中学時代の友達にも30年ぶりに会い、旧交を暖める事ができた。
皆、それぞれの想いで30年を生き抜き、あるものは、既にあの世に旅立っていた。 
皆、それぞれに喜びや哀しみを抱え、自分の力ではどうにもならない
荒波に翻弄されながらも、健気に前を向いて歩いていた。

道を外れてしまった者も何人かいたけれど、
そうした者に対しても皆は、想いをかけていた。

僕もその中の一人として、自分の力ではどうにもならない運命に
翻弄されながら、自分なりに懸命に生きて来たつもりだ。

”自分だけではない。” そんな当たり前の感慨を持ちながら、
ともに年老いた友達の顔を眺めて、なぜか優しい気持になれた。
日本に残した全ての物に、優しい気持で、
心から感謝をし、僕は、一人、またニューヨークに戻って来た。

僕は、確実に終わりに向かっている。 自分の人生、自分の築き上げたもの、
しかし、もう悪あがきはしないし、人を恨む事も無い。

自分の力ではどうにもならない運命に向かって、
力の限り健気に努力を続けるのが、人間全てに平等に課せられた
使命だと言う事を、肌に感じて理解する事ができたから。。

僕一人ではないのだ。 皆が、その程度の差はあれ、
同じように、力の限りを尽くしている。

2007年9月5日が、僕にとっての決断の日になる。
僕は、決断の場所を、あの懐かしのアムステルダムに決めた。
僕の心は、殆ど決まっている。
今週の金曜日に最期のチャンスがやってくる。 
そこで全力を尽くして思い叶わなかった時、僕は、心を決める事になる。

最期まで諦めないが、自分の言葉には、責任を持ちたいし、それが、男だと思っている。。
今日は、朝から雨模様だ。
霧雨に濡れるベランダに出て、湿った空に向かって僕は、タバコの煙を吐いた。



2007年08月29日 

8月も最終週になり、ちょっとした街の風景が、
夏の終わりを感じさせるようになった。

僕は、金曜日の夜の便でイタリアは、ローマに向かう。 
ローマからミラノを回り、その後にアムステルダムに行き、
最後にストックホルムを回って、ニューヨークに帰る。

だから僕は、去っていくニューヨークの夏を惜しむように、
時間を見つけては、外を歩くようにしている。

昼間、仕事を抜け出して、30分ほど、公園や街を歩き、
夏の終わりを楽しむ事にした。

本当だったら、仕事を休んでピクニックにでも行ければ最高だけれども、
今の状況では、そうもいかない。

僕は、相変らずここで独りで闘い続けている。
去年の彼女へのクリスマスプレゼントで、
手放すものは全て手放してしまったので、僕には、もう失うものは何もない。

物質的なものに対する固執や未練ももはやない。
自分の命に対する固執や未練もない。
あるのは、自分の大儀に殉じたいという気持ちだけ。
僕は、自分の命をかけるに値する大儀を見つけられて幸せだと思う。

それに出会うまでに時間がかかったけれど、まだ元気なうちに、
自分が生まれた来た目的を見つる事ができたのは、本当にラッキーだったと思う。

僕は、若い人に、”貴方は、自分が全身全霊をかけられる
夢を見つけたから良いけれど、それが見つけられない私は、
どうしたら良いのだろうか?”と良く聞かれる。

そう聞かれたときに、僕は、いつも、こう答える事にしている。

”自分が命をかけられる夢を見つけられれば、それに命をかければ良い。
自分が望んだいない事でも、自分の夢でなくても、
自分がやらなければいけないと感じた事があれば、使命感を持って、
それを成し遂げるべく努力をすれば良い。

自分が命をかけられる夢も、自分がやらなければならない使命も
見つけられないときには、ただただ、
人の幸せの為に、自分の命をかければ良いと思う。”

この話しをした時に、大体、話を聞いた若い人達は、胡散臭そうな顔をする。
それはその通りだと思う。 僕も、若い時に、
そんなことを言われればいやな顔をしたと思う。
でも僕が、44年の人生で学んだ事は、まさにそういうことなのだ。
自分を見失った時には、人の為につくせ。
自分がやるべきものを見つけたら、それを自分の使命と思って命の限り闘い続けろ。。
これが、僕の若い人たちへの遺言です。



  この世に生きているものは、全て命がけで毎日を過ごしているんだよね。 
  手を抜いて生きている花は、いないし、手を抜いて生きている犬もいない。 
  世の中を生きるって言うのは、それぞれの存在にとって命がけな事だと思う。
  子供を生むと自動的に死んでしまう生き物だっているし、
  メスに食べられてしまう宿命のオスもいる。 全てのものが、命がけで生きている。
  だから、人間だって本来、命がけで生きるものなのだと思います。
  僕の彼女も、短い人生を命がけで生きた。そして死んでいった。
  僕も彼女との時間を命がけで生きた。。 そういうことなのだと思います。




2007年08月31日  湊川

先週の金曜日に最後のチャンスがやってきたが、
残念ながら思うような結果を残す事ができなかった。

この状況から判断して、投資家は、僕のオリジナルのプランを却下して、
別のプランで事態の収拾にあたることになった。

僕は、この会社以外にも4つ会社を持っている。
ここで決定的な意見の違いがあり、僕の意見が排除されたのであれば、
自分の持ち株を清算して、この会社から去ると言うオプションもある。

普通のアメリカの経営者であれば、恐らくそうするであろう。

赤字累積で株価が一ドル以下に落ちたこの会社を立て直して、
5年間で会社の価値を一時期10倍にまであげた。 
その後は、新プロジェクトの難航もあり、企業価値は当時の6倍前後を上下している。

アップダウンはあったけれども、5年間で投資金額を6倍にしたのだから、
決して恥かしい結果ではない。

ただ僕は、本当の会社の再生は、
会社に新しい企業理念と目標を掲げる事で、それに従業員が共鳴し、
自信を持てるものでなければいけないと思っている。 

企業価値が、10倍のままでも、
会社に理念がなければ、その会社は、5年で無くなってしまう。

会社に理念があれば、その理念の創出の為に、
一時的に会社の価値が3倍に落ち込んでしまったとしても、
理念が社会に受け入れられれば、20年、30年と生き続ける事が可能なのだ。

金が、全てではないのだ。
だけれども、僕は、経営方針の議論に負け、
僕の提案は、認められず、会社は別の方向に進むことになった。

ここまで亀裂が広がると、従業員もそれを感じているようで、
不安げな目で僕を見る事が多くなった。この会社には、レバノン人の友達をはじめ、
中近東、東ヨーロッパ系の従業員の数が、多い。

僕の秘書も、トルコからの移民だ。 
この会社に関わるようになって、僕は、ひとつの事に気がついた。 
それは、東ヨーロッパ系の特に年配の人たちの
”日本”に対するイメージが、予想以上に高いと言う事だった。

当時の東ヨーロッパは、ロシアに圧迫をされていたが、
彼らは、それよりも遥か昔に、アジアの島国が、毅然として立ち上がって
ロシアの圧力を押し戻した事を昔話のように聞き覚えていたからだったらしい。

僕は、そういった昔話で誇張された”日本人”感を彼らが語る時、
”今の日本人は、昔の日本人と違う。 そんな気概は、持っていないよ。”と言って、
いつも微笑んで見せた。

そんな彼らが、僕を不安そうな眼差しで見つめている。。
自分の事を考えれば、ここに残って失敗のとばっちりを受け
自分の経歴に傷をつけるよりは、キャッシュアウトをしてここから去った方が利口だ。

ただ、残される従業員の不安そうな目を見ると、僕にはそうする事はできなかった。

自分の望む道ではないけれど、負けるのはわかっているけれど、
大儀の為に、ここに残って、ボロボロになるまで闘おうと思った。

僕は、決心をして、レバノン人の友達に、”湊川だ。”と言った。
彼は、”ミナトガワ?”と聞き返した。

僕は、彼に微笑んで、”そうだ。 湊川だ。 
君は、歴史がすきなんだから、いつか湊川の意味が、わかる時がくるよ。”と言った。

湊川は、南北朝時代の昔に、後醍醐天皇の南朝側と足利尊氏の北朝側が、
天下分け目の戦いをした場所だ。
南朝側の武将、楠正成は、後醍醐天皇に、足利尊氏との和睦を勧めたが、
後醍醐天皇は、その献策を取らず、足利尊氏と戦うことを決めた。 

楠正成は、その時点で南朝側の敗北を感じたが、
自分の献策を捨てられたにも関わらず、後醍醐天皇の命に従い、
湊川に兵を進めて、足利の大軍と衝突し、善戦しながらも最後は全滅をした。

自分を楠公に例えるのは不遜だが、自分の意思に反して、
負ける事がわかっていても、大儀に殉じて闘う事を、湊川と比喩する。
いつか、レバノン人の友達にも、”湊川だ。”と僕が言った
その意味を、わかってくれる日が来るだろう。

僕は、明日からヨーロッパに向かう。
最後の決戦に臨むために。
可能性は、なくとも僕は、大儀の為に全力を尽くす。

結果次第によっては、僕が、ここに戻ってくることはもうないかもしれない。
だから、大好きな皆さんに、暫しのお別れの挨拶をしたいと思う。

僕の大切な皆さんへ、万物のご加護がありますように、お祈り申し上げます。
冥加に叶った場合には、また皆さんにお目にかかることがあるかもしれません。
冥加に尽きた場合には、こんな奴もいたと、
記憶の底にとどめていただければ幸せです。

吉田松陰の唄で、”かくすれば、かくなるものと知りながら、
止むに止まれる大和魂。”と言う唄が、ある。

理屈では、勝算がないとわかっていても、
どうしてもやらなければいけない事が、日本人の魂にはあると言う唄だが、
今の僕の心境を良く現していると思う。

それでは、みなさんお元気で。





2007年09月25日  男の値打ち

文字通り、背水の陣の覚悟でヨーロッパに向かった。

決戦の地、アムステルダムに向かう前に、
僕は、彼女との思い出の詰まった、ローマに立ち寄る事にした。

彼女が、まだ生きていた頃、僕らは、自分達の夢、将来設計を語り合った。

50歳になるまでに死に物狂いで働いて、十分な資金をため、
50歳になったら、パリに移住して、パリをベースに人権問題、
貧しい人たちへの食料供給(Food Program)の慈善事業をすると言うのが、
彼女の夢であり、将来設計だった。

彼女は、パリに恋をしていた。
そんなパリに、ちょっと僕は、馬鹿げた嫉妬を感じたりしたものだった。。(笑)
パリに恋をしていた彼女が、パリの次に好んだ街が、ロンドンとローマだった。

僕は、パリに嫉妬をしていたし、どちらかと言うと、ローマに憧れていたので、
彼女を頻繁にローマに連れ出して、彼女とゆっくりとした時間を過ごしたものだった。

自分の気持ちを整理したかったのと、少し、独りきりになりたかったこともあり、
僕は、そんな彼女との思い出の詰まった、ローマに立ち寄る事にした。
彼女と一緒にローマに行ったときに定宿にしていたホテルに泊まる事にした。

全てが、あの頃のままで、変わったことといえば
彼女がこの世にはもういないと言う事と、僕の白髪が増えた事くらいだった。

ホテルの最上階には、レストランがあり、
最上階のテラスに並べられたテーブルに座り、ローマの夜景を見下ろしながら、
食事をすることが出来る。

僕は、あの頃と同じように、二人がけのテーブルに座り、
食事をした。 まるで、彼女が、僕の隣に座っているような気がした。 
僕にとって、死は身近なもので、生と死の境は、ほんの僅かなものでしかない気がした。

9月5日を僕自身の湊川と決めてから、僕の気持ちは、落ち着いていた。 
静かな闘志と、彼女への思いだけが、僕の気持ちを満たしていた。 

彼女に早く会いたい。。 心の底からそう思った。
ローマを立ち去る最後の夜に、僕は、ローマの街並みをあてもなく歩いた。 
気がつくと、トレビの泉の前を歩いていた。

彼女とここに来た時の事を、昨日のように思い出した。 
彼女の面影を見たような気がした。

泉の前の石段に腰を下ろし、暫く僕は、独り、考え事をした。 
やがて意を決して、立ち上がり、僕は、ホテルに戻った。

気持ちの整理は、ついた。 清々しい気持ちになり、
僕は、ローマを後にし、アムステルダムに向かった。
4日の夜に、アムステルダムに着き、
僕は、5日の朝を静かな気持ちで迎えることが出来た。

孤独な最後の闘いが、始まった。
相手側は、また1ダース以上のスーツ達が、仰々しく待ち構えていた。 
それに立ち向かう僕は、ただ独り。。 自分の始末は、自分でつける。 
人の助けは、必要なかった。

ただ独り、彼女への思いを胸に抱いて、交渉を続けた。
手を削がれ、足を削がれ、万策尽きた時に、潔く決断をすればよい。 そう思った。
不思議な事に、夕方になってから、次第に相手方が押し込まれ譲歩をし始めた。

首の皮一枚になりながら、ほんの少しずつ、
僕は、相手方を押し戻し始めているような手ごたえを感じ始めた。

これは、僕の力ではない。 そう思った。
何者かの力に支えられて、僅かながら、押し戻し始めている。 
そう感じられた。 僕はその力に自分をゆだね、流れのままに交渉を続けた。

結局、僕は、潰されなかった。 
最後の最後になりながら、生きながらえた。

2日間の攻防を終え、アムステルダムを後にしながら、
”こんな事もあるのだな。。”と謙虚に思った。

長い人生の中では、こんな事もあるのだろう。
生かされている自分を感じた。 生かされている間は、
自分の責任を果たさなければならない。。。 そう思った。

それから、僕は、ヨーロッパとニューヨークを行ったり着たりの生活を続けている。

今の僕は、たった独りだけれども、寂しくはない。。
今の僕の周りにあるものは、20年来の相棒のモナコの時計と、
これまた20年来吸い続けているPall Mallの煙草と、
ゴルチエの香水と、彼女の写真だけだ。。 ただそれだけ。。

僕の持ち物もずいぶん少なくなったなと思い、
煙草に火をつけてちょっと独り、照れ笑いをした。

男の値打ちは、持ち物の多さではない。
男の値打ちは、生き様だ。 彼女が、昔、そんなことを言っていたっけ。。。
早く君に会いたいです。。



2007年09月28日  定年

最近は、週に一度、ヨーロッパに出かけている。

ニューヨークからヨーロッパは、思った以上に近い。 
6時間程飛行機で飛べば、大体の場所には行ける。 
ニューヨークから西海岸へ飛んでも、大体6時間程かかるので、
サンフランシスコやLAに行く感覚で、ロンドン、パリ、アムステルダム、
フランクフルト、ブラッセル、コペンハーゲンと言った主要都市に飛んで行ける。

僕のここ1ヶ月の生活は、毎週ヨーロッパと西海岸に
それぞれ一度づつ出かける毎日が、続いている。

今日も、ヨーロッパから帰って来た後、朝6時50分の飛行機に乗って、
サンフランシスコに同日の朝10時に着き、サンフランシスコで一日働いて、
夜4時半の飛行機に乗って、ニューヨークに夜中の
12時30分に帰って来ると言う日帰りをこなして来た。

夜中の一時半頃に誰もいない家に帰り、ワインを開けて少しワインを飲み、
彼女の写真を抱えたまま、眠りに落ちた。。

6時過ぎに目を醒まし、顔を洗ってジムに行き、
1時間程マシントレーニングで汗を流してから、熱いシャワーを浴びて、
食事をとり、草花に水をやって、仕事に出かけた。

久しぶりのニューヨークの仕事場だ。。

僕がいない間も、ビルの清掃業者の人が、掃除をして、
草花に水をあげてくれるが、やっぱり自分の手で草花の世話をしたいので、
どんなに忙しくても、僕は、仕事場に着くと、まず草木の手入れをする。

ヨーロッパに行っている間に溜まっていた仕事をこなし、
夕方に日本から仕事でニューヨークを訪れていた古い友達に会いに出かけた。

彼は、僕と同じ年の44歳で、日本の大手の会社に勤めている。 
その会社に20年以上勤め、ある部の部長さんをしている、
僕とは、全くちがう人生を選んだ友達だ。

久しぶりに彼に会い、ホテルで仕事の話や、
お互いのプライベートの話などを色々した。

その中で、彼が突然、”僕は、あと10年働いたら定年なんだ。”と言いだした。 
アメリカには、定年は、ないのですっかりそんな事は忘れていたが、
日本の一部の会社では、まだ定年の概念があるらしい。

確かに55歳を定年としたら、僕と彼に残された時間は、あと10年しか無い。
日々の忙しさに、すっかりそんな事を忘れていたが
、僕も、日本で会社勤めをしていたら、後、10年で定年で、
残りの人生設計を考え始めなければいけない年頃だという事に気づいた。

ふとした事で、すっかり遠くまで来てしまったと実感する瞬間がある。
今日が、まさにそんな瞬間だった。
遮二無二生きて来たけれど、気がつけば、
こんなに長い時間がたってしまっている。。。

僕は、このまま異邦人として、ここで朽ち果てるのかな? などと、
彼の話を聞きながら、思わず考えてしまった。

友達と別れ、仕事場へ戻る帰り道にちょっと感傷的になったけれど、
仕事場に戻った頃には、いつもの僕に戻っていた。

今週は、ニューヨークにいるけれど、来週には、
またヨーロッパに戻らなければいけない。 今の僕の生活は、
明日を生き残るのが精一杯で、10年先の事を考える余裕は無い。

兎に角、今日を生き残り、明日に希望を繋ぐのが、
僕の毎日だ。カッコが、悪くても必死で毎日を生きなければ、
いとも簡単に潰されてしまう。 潰されてしまったら、その時点で、アウトだ。 
その時点で、明日は、ない。

一日の仕事が終わり、ヘロヘロになって家に帰り、
ウイスキーで自分を酔っぱらわせて、ベッドに辿り着いた。

部屋の灯りを全部消す前に、ベッドの脇の小さなテーブルに
置かれた彼女の写真を手に取って、彼女に語りかける。

僕がこの世をさる前に、最期に目にする物は
彼女の写真だと僕は、ずっと決めている。

だから、一日が終わり、眠りにつく時には、彼女の写真を見て、
彼女に話しかけるのが日課になっている。

僕は、いつもの通り、彼女に話しかけながら、
”今のように、毎日の生活に必死で、10年先の自分を心配する余裕が無いというのは、
僕にとっては、かえって幸せな事かもしれないね。。”と呟いた。

彼女の写真が、僕の独り言に返事をするわけもなく、
僕は、ただ微笑み続ける彼女の写真に、僕の気持を語りかけた。



2007年09月30日  天気のよい週末

久しぶりにニューヨークで過ごす週末は素晴らしい天気に恵まれた。

ニューヨークの秋は、一年のうちで一番素晴らしい時期だと思う。 
15歳で初めて日本を離れて、世界各地を放浪し、
ニューヨークに腰を据えてから、既に20年近い時間がたっている。 
ここで沢山の秋を過ごして来たけれど、
それでも、毎年秋になると、ニューヨークに改めて恋をする。

僕は、ニューヨークを愛しているのだと思う。 
彼女が死んだ時に、僕は、ニューヨークを捨てる事も考えた。 
あまりにも沢山の思い出がありすぎるから。。 

それでも僕は、ニューヨークを離れる事はできなかった。 
やっぱり、僕には、ここしか考えられないから。 
そんなニューヨークでの久しぶりの週末を、僕は、一人で満喫した。

掃除をしたり、草木の手入れをしたり、買い物に出かけたついでに、
近くを歩いたり、とりとめの無い事だが、
秒刻みで動き回っている僕に取っては、心の休まる貴重な休日だった。

買い物袋を下げて、見慣れた街並を歩く。
ふと、彼女と同じ街並を歩いていたときの頃を思い出す。

彼女は、僕の心の中に生きている。
今は、彼女の温もりに触れられないだけ。

ただ、彼女の事を心の中で感じると、心がちょっと暖かくなる気がする。
きっとそれは、彼女の僕に対する優しさなのだろう。

温もりを与えられない代わりに、彼女は僕の心を温めてくれる。

”ありがとう。”と、僕は、彼女に呟いた。
今週は、またヨーロッパに戻る。
僕は、最期の最期まで諦める事無く、僕の愛するものの為に、闘い続ける。
いつか、想いは叶う。 そう信じて。。

仮に、途中で力つきたとしても、
最期まで諦めず闘い続ける生き様を残す事が、大事なのだ。
それが、僕が、この世に生を受けた理由だから。





2007年11月01日  ハロウィン

ハロウィンの水曜日は、気温が上がり、過ごしやすい秋日和になった。
僕のアパートの玄関もハロウィーンの飾りつけがされており、
仕事場に向かう道にも、既にコスチュームを着込んだ人たちを見る事ができた。

仕事場に行く途中で、僕は、コンビニに寄り、子供達に渡すお菓子を買い込んだ。
折角、お菓子を楽しみにトリック OR トリートをしに来た子供達にお菓子を
振舞えないとなんとも格好悪いので、”少し買いすぎたかな?”と思うほど、
お菓子を買い込んでいる自分が、ちょっと可笑しかった。

仕事場にも子供を連れてきている人が何人かいるので、
その子供達にお菓子を振舞わなければいけない。
中には、子供を連れてきているわけではなく、自分が子供でも無いのに、
コスチュームを着てお菓子をねだりにくる大人もいる。(笑)

僕は、笑いながら、来る人来る人に、お菓子を配り続けた。
夕方になり、仕事の手を休めて、ちょっと独りでセントラルパークを歩いてみた。
丁度去年の今頃、僕は、大学に行く彼女と待ち合わせをして、
二人手を繋ぎながら、秋のセントラルパークを歩いた。
二人で、枯葉を蹴っ飛ばしながら、寄り添いながら、歩いた事を思い出した。
ベンチに座って、彼女の宿題を一緒に解いた事を思い出した。。
二人で、公園の小さな動物園を横切り、オットセイを眺めた事を思い出した。。
彼女が、僕の肩に頭を乗せながら、”あとどの位、こうやって
二人で散歩をする事ができるのかな?”とつぶやいたのを思い出した。。
そんな事をぼーっと独りで考えながら、セントラルパークのベンチに座っていた。

すると、猫のフェイスペインティングをした小さな男の子が、
僕の所にやって来て、にっこり笑いながら、お菓子をくれた。
その男の子は、お菓子を貰うのを間違えて、お菓子を渡そうとしていたらしい。

後ろにいた、その男の子のお母さんらしい女の人が、それを見て笑っていた。
僕も笑った。。 でも、その男の子は、お菓子を僕に突き出したまま、
僕を見つめて笑っている。

仕方ないので、僕は、微笑んで、男の子に差し出されたお菓子を貰い、
僕が、持っていたお菓子を男の子に上げた。
男の子は、僕からお菓子を受け取ると嬉しそうな顔をして微笑んだ。
44歳のおじさんと小さな子供が、セントラルパークのベンチで、
お菓子の物々交換をしている。。。 そんな滑稽な光景だった。。
でも、僕は、その子の笑顔を見て何となく気持ちが明るくなり、貰ったお菓子を手にしたまま、
大きく伸びをひとつして、ベンチから立ち上がった。

仕事場に戻り、男の子から貰ったお菓子をテーブルの上に飾り、夜まで仕事を続けた。
夜に仕事関係のディナーがあり、アッパーウエストにある
GALIと言う寿司屋さんに出かけた。 
GALIは、映画のナイトミュージアムで有名になった
アメリカ自然博物館の裏にある。

アメリカ自然博物館の前は、ハロウィーンの催しがある有名な場所で、沢山の人たちが、
思い思いのコスチュームを着て、催しに集まってきていた。
そんな人たちを眺めながら、僕は、GALIに入り、仕事関係のディナーをした。
ディナーが終わり、タクシーを拾って、自分の家に向かった。
ブロードウェイを南に下りながら、タクシーの窓から、道を行きかう人々を黙って眺めていた。。
タクシーの窓に映る、街灯と夜の景色の中に、彼女の幻影を見た気がした。。

明日は、彼女の誕生日だ。。



2007年11月02日  彼女の誕生日

11月1日は、僕の最愛の人の誕生日だった。

彼女は、逝ってしまったけれど、彼女との色々な思い出を振り返りながら、
独り静かに、彼女の誕生日を祝った。

去年の誕生日の事を、昨日の事のように思い出した。
人には会わず、独り静かに、気持ちを通わせようと、
心をきれいにして、語りかけようとした。

僕は、心も体も汚れてしまっているので、気持ちを通わせる為には、
心に溜まった汚いものを綺麗にしなければいけない。。

人に優しくする事。

人に尽くす事。

自然を敬い、思いやる事。

言葉を発する事のないものの心を知ろうと耳を傾ける事。。

少しずつ僕の心の掃除が出来たら、僕は、
遠い世界にいる彼女と心をかわせるようになれるのかも知れない。

それは、遠い道だけど、まっすぐな道に思えた。
人は、まっすぐの道を歩く時には、道に迷う心配をする必要は無い。。
昔、彼女が好きでよく口ずさんでいた、Straight Lineという唄を思い出した。。



2007年11月08日  相談事

このところ、ちょっと自分の気持ちがメローになっていたので、
朝から気合を入れるために、いつもより早めにジムに行き、
いつも以上のハードスケジュールで汗をかいた。

熱いシャワーを浴びながら、そのまま髯をそった。 
もうこの年になると、いちいち鏡を見なくても自分の髯ぐらいは剃れるようになっている。

強めのコーヒーを飲んで、PALL MALLに火をつけ、
ベランダからハドソン川を見つめた。

煙草とコーヒーの朝食をすませ、僕は、車に乗り込み、
気持ちを奮い立たせる為にJoe SatrianiのCDをかけた。

車のフロントガラス越しに街の様子に目をやった。 

冬は、一歩一歩確実に近づいてきているようだ。

今日も朝から天気が良かったが、気温もかなり下がり、
街行く人たちも秋の装いから冬の装いに少しずつ変わっているのが、感じられた。

一日忙しく働いた。
常に前に出る。。 それが、僕の鉄則。。
1インチでも良いから、前に出る。 
そして、人には優しく、自分には厳しく。
僕が、異国の地、ニューヨークで15年以上もの間、
組織をまとめ続ける為に、体で学んだ鉄則だ。

だから、一人で背負い込む事が多くなるけれど、自分が楽をする為に、
人に苦労を押し付けるわけにはいかない。

夜には、体も心もヘロヘロになっていたけれど、
友達から相談事を持ちかけられて、話を聞く約束をしていたので、
ウエストビレッジのイタリアレストランに向かった。

僕が、レストランに着くと、その友達は、もうそこで待っていて、
レストランの奥の方の席から、僕にむかって手を振っていた。

彼女に遅れたことをわび、相談事を聞いた。
その友達の相談事を、料理をつまみながら2時間ほど聞いた。

彼女は、2時間話し続けると、満足したようで、
”全部吐き出したら、少し楽になってきた気がする。”と言って僕に笑って見せた。

僕も笑った。。
友達を家に送り届け、僕は、車を自分の家の方向に向けた。

一人になったので、
好きなジャズを流しているラジオ局にチューナーをあわせた。

ジャズを聴きながら、夜のマンハッタンを走った。。
本当は、心が折れそうなんだけど、まだまだ僕は走り続けないといけない。

もうすぐクリスマスの季節になる。。
神様は、僕にもクリスマスのプレゼントをくれるのかな?
僕の願い事はただひとつ。。
僕を彼女のところに連れて行ってください。。
常に彼女と一緒にいる事ができますように。。



2007年11月12日 赤い椅子 

彼女の病気がまだ悪くなる前に、僕と彼女が、
ウエストビレッジに新居を探していた事を昔の日記に書いた。

結局、彼女はあれから体調を壊し、結局帰らぬ人になった。。
去年の夏頃だったか、僕らは、週末ごとに物件を見て歩いた。 
そして、お互いの夢を語り合った。 

僕の人生の中で一番幸せだった瞬間かもしれない。
彼女は、まだ家も決めていないのに、ウエストビレッジのビンテージ屋さんに
置かれた赤いスツールを指差して、”アタシ達の家には、
あの椅子を置きたいね。”と子供のような眼差しで、僕に微笑みかけた。

ロンドンの電話ボックスを思わせるような、可愛い赤いスツールだった。

僕は、子供のようにはしゃぐ彼女を、抱きかかえて、微笑んでみせた。
僕らは、そのまま足を伸ばして、ユニオンスクウェアまで歩いて行き、
家具屋さんを覗いた。

案の定、彼女は、また展示されている色々なソファに腰を下ろして
、嬉しそうにはしゃいだ。

彼女が、気に入ったのは、赤ワイン色(バーガンディ)の
ベルベッド地のソファベッドだった。 
”これだったら、アタシの兄弟や、友達が来ても泊まれるしね。”と
展示されているソファの上に寝そべりながら、彼女は言った。

”赤いスツールにバーガンディのソファじゃ、
本当に女の子の部屋って感じだよね。 僕にも物を置かせてね。”と
ソファの上に寝そべっている彼女に語りかけた。
彼女は、悪戯っぽく笑いながら、
”貴方には、ちゃんとMacのスペースと、ギターのスペースをあげるから。”と言った。
あれから一年以上の月日がたった。。

僕は、彼女と一緒に歩き回ったウエストビレッジから、
ほど近いチェルシーにアパートを見つけた。

そして昨日、ユニオンスクウェアの家具屋さんに一人で出かけ、
バーガンディのソファを注文した。

一人で、展示場のソファに腰を下ろしてみた。 
あの時の、ソファに寝そべっていた彼女の温もりを探すように、
そっとソファに手をあててみた。。

そんな事を全く知らない、店員さんは、
”バーガンディは、お洒落ですね。”と僕のチョイスを褒めてくれ、
”クリスマスまでには、納品できると思いますよ。”と言って微笑んだ。

僕は、店員さんに”ありがとう”と礼を言い、支払いをすませて、店の外に出た。

天気はよかったが、外気はかなり寒くなり、
ニューヨークは、既に冬に向かっている事が、感じられた。

僕は、ジャンバーの襟をたてて、タバコに火をつけ、ウエストビレッジまで散歩をした。

彼女と僕の想い出の街。。 いくつもの季節を彼女と歩いた街。。

彼女の微笑み、

彼女の涙、

彼女の手の温もり、

彼女の優しい声、

彼女の息づかいまでもが、染み付いている街。。

気がつくと、あのビンテージ屋さんの前を歩いていた。

何気なく、店の中を覗き込むと、まるで一年以上もそのまま、
僕が来るのを待っていたかのように、赤いスツールが、奥の方に埃を被っていた。

それを見つけると、不覚にも、涙がこぼれた。。
僕は、誰にも気づかれないように、足早に店を出て、
もう一本タバコに火をつけて、空に向かって、煙を一つはいた。



2007年11月14日  自分の色

日の夜から雨が降り始め、今朝は、雨もかなり強くなったが、
昼に近くなると雨もやみ、雲間から、日の光が差すような天気になった。

気温も若干上がったけれど、週末に向けて、また気温も下がりだすらしい。
来週は、感謝祭があるので、アメリカではあまり仕事にならない。
感謝祭は、日本で言うと盆とか正月にあたるような気がする。 
家族のある人は、大体家族の元に帰り、
七面鳥を囲んで家族団らんするからだろう。

僕のような身寄りの無い異邦人に取っては、
感謝祭は、自分の孤独をかみ締める日だ。
感謝祭の後には、ニューヨークのデパートなどは、
一斉に年末のセールに突入する。
そして12月の上旬には、ユダヤ人のお祭りのハニカがあり、
そしてクリスマスがやってくる。

今年ももう終わりだな。。と言う気持ちが、どこからともなく湧き上がってくる。
もうそろそろ一年が経つのだ。。

これからあと、僕は何年間、同じ思いをしながら年の瀬を迎えるのだろうか。
雑踏の中を歩きながら、ふと彼女の事を思い出した。

雨上がりの街を歩くと、マンホールのいたる所から、
ニューヨーク名物の湯気が沸きあがっていた。

水溜りの残ったアスファルトに、灰色の空、そして白い湯気。。
まるでブレードランナーの映画の一場面のようだ。
あの映画でも、主人公のデッカードは、
どうにもならない孤独感と寂寥感を持って街を歩いていたっけ。。
ふと立ち止まり、
通りに面した店の大きなショーウインドウに移った自分に気がついた。

随分年を取ったな。。と思った。

何となく、自分の色が薄くなっているような気がした。。

僕以外の雑踏を行きかう人たちは、色とりどりの色がついているのに、
僕だけモノトーンで、今にも消えてしまいそうな灰色に見えた。

このまま消えてしまうのかな?と思った。

それでも良いとと思った。

今の僕の世界にある、唯一色彩のあるものは、ワインレッドのソファだけだ。
あのソファだけが、僕の世界の中で、眩しいほどの色彩を放っている。
不思議だな。。と感じた。
不思議な気持ちがした。
僕は、また歩き始めながら、今年は、
新しいアパートにクリスマスツリーを飾るべきかどうかを考え始めていた。。
あと、三週間で新居に移る。。



2007年11月16日  死の準備

昨日の夜から雨が降り始め、今朝も早いうちはかなりの量の雨が降った。
昨日は、一日忙しかった。
夕方から、Clientの役員会があり、僕は、それに出席する事になっていた。 
役員会が無事終わり、その後、42丁目のステーキハウスで懇親会が用意されていた。

僕は、荷物を片付けながら、隣に座っていた役員の一人のMikeに、
一緒の車でステーキハウスに移動しないか?と誘った。

Mikeは、丁度今年で50歳になったばかりで、
弁護士から投資家に転進したこの業界では、やり手として有名な男だ。

いつもハードな仕事をこなしながら、Junk Foodばかり食べているので、
子供のような奴だと皆にからかわれている男だ。
2度結婚をし、2度目の結婚で子供が生まれ、
僕は、仕事で日本に行った時などに、その子供に何度か
お土産をせがまれて買って帰った事がある。

そんなMikeだが、僕の誘いにかぶりを振りながら、
”ちょっと疲れているから、今日は、帰るよ。”と力なく言い、
疲れた笑顔を残して家に帰っていった。

僕は、Mikeに”あまり無理をするなよ。”と声をかけ、
肩を叩いて彼を見送り、他の役員達と連れ立ってステーキハウスに向った。

懇親会は、思ったよりも長いディナーになり、全てが終わり、
家に帰った時には、夜中を回っていた。

翌日、仕事場に行くなり、パートナーから、
Mikeが昨日死んだと伝えられ驚いた。 彼は、気分がすぐれず、
役員会の後にそのまま家に帰り、ベッドに入って休んだが、
なんとそのまま死んでしまったらしい。

全くの突然死だった。

Mikeは、Jewishなのでユダヤ人のしきたりに従い、明日直ぐに埋葬される。

僕は、Mikeとそれほど親しいわけではなかったが、
結果として最期に会話をした事もあり、びっくりすると同時に、
彼の家族を思うと不憫になった。

当たり前な事だけれども、人は、必ずいつか死ぬ。 
それが、いつやってくるかは、誰にもわからない。 
唯一確実な事は、必ずいつか死ぬと言う事だ。

Mikeの訃報を聞きながら、僕は、昔のある事件を思い出した。

かなり昔の話だが、僕は、日本のClientに頼まれて、
アメリカ人の弁護士を日本のClientのところに2年程送り込んだ事がある。

そのアメリカ人の弁護士は、初めての外国生活をエンジョイし、
日本での仕事に全力を傾けていたらしい。 
日本のClientからの評判もまずまずで、送り込んだ僕は、
とりあえず胸を撫で下ろしていたところだった。

その彼が、日本に移り住んでから1年半目位のある日曜日に、
友達と富士山登山に行き、滑落死をした。

僕は、その時、たまたま別のClientの仕事で日本にいたので、
山梨県警に遺体の確認に行き、彼である事を確認してから、
遺体をアメリカに送り返す事に忙殺された。

LAに住んでいた彼の両親に彼の訃報を伝え、彼はユダヤ人だったので、
ユダヤのしきたりに従って彼の遺体に一切の薬を投与することなく
24時間以内にLAに送り返さなければならなかった。

彼の両親からは、”貴方が日本に送り込んで、
息子がこんな目にあったのだから、これは貴方の責任だ。 
貴方が、息子を日本なんかに送らなければ。。”と言われた。
 彼らの哀しみは、最期には号泣に消され声にならなかった。

誰かが、受け止めなければいけない。
そして、彼をアメリカに帰してあげなければいけない。
ただそれだけを考え、僕は、全ての方法を試みた。

結局、米軍に相談をし、遺体を送り返してもらえる事になった。
無事、彼をアメリカに送り返したあと、
彼が日本で住んでいたアパートの掃除に出かけた。

彼は、自分がそんな目にあうとは、夢にも思っていなかったので、
彼のアパートは、前日の生活臭が、そのまま残され、
散らかったままの状態だった。

僕は、そんな彼の遺留品を片付けながら、
”きっと、あいつは、こんなところを僕に見られて恥かしいかもしれないな。。”と思った。

人は、いつか必ず死ぬ。
そしていつ死がやってくるかは、誰も知らない。
その経験をしてから、僕は、自分が死んだ後に、見苦しいものを見せたくないので、
毎朝、家を出る時には、その日に死んでも困らないように、
家の掃除をするようになった。

しかし、ここ何年かは、他の事や忙しさにかまけて、
毎朝の死の準備をしていない自分に気がついた。

Mikeの突然死の訃報に触れながら、僕はその事をふと思い出した。
人は、いつか必ず死ぬ。
そして、いつ死がやってくるかは、誰も知らない。。

また昔のように、毎朝の死の準備をしなければいけないなと、ふと思った。
死の準備は、死を待ち望むと言う事ではない。

死の準備は、自分に対する身だしなみであり、
一瞬一瞬を精一杯生きる為の心構えだと思う。

凛とした気持ちで生きていく為に。



2007年11月17日  赤い色

ここ二日ほど雨が続いたが、今朝は、久しぶりの快晴になった。

今朝は、久しぶりにベッドに差し込む太陽の光で目を醒ました。
気温は、昨日に比べて低い。
僕は、コーヒーを片手に、ベランダに出て朝の太陽と、
川面でキラキラ光るその反射を眺め、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

両切りタバコを咥え、マッチでそれに火をつけ、煙を空にはいた。

空に消えていくタバコの煙を眺めていると、
エンパイアステートビルの上に、ハート型の可愛い雲をみつけた。

ベランダの手すりに寄りかかりながら、暫くその雲を見つめていた。

見つめるだけで、何故か心が優しくなるような雲だった。
ちょっとだけ幸せな気持ちになった。

タバコを吸い終えると、いつものようにジムに行き、
身支度をして仕事場に向った。

川辺のハイウェイに植えられた街路樹が、
燃え上がるような赤に色を変えていた。もう、
秋も終わりだな。。 そう思った。

もう少し、その赤を見たくて、遠回りをして仕事場に向った。

去年の今頃、かなり病気も進行して弱ってきた彼女が無理を言って、
彼女と手を繋いで、紅葉のセントラルパークを一緒に歩いた事を思い出した。

二人で枯葉を蹴飛ばしながら、歩いた。
ベンチに腰を下ろして、二人で燃えるような赤い木々を眺めながら、話をした。

彼女は、ポケットに手を突っ込みながら、僕に語りかけた。

”今まで王子様だと思って沢山の蛙にキスをしてしまったけれど、
やっとアタシの王子様を見つけたんだ。” と、彼女は、僕の方を向いて笑った。

僕は、ただ笑って、彼女の肩を抱き寄せて髪の毛にキスをした。

”褒め言葉なんだよ。”と、彼女は、ちょっと不服そうに口を尖らせて僕を見た。
僕は、また笑って、”後で蛙にならないように頑張るよ。”と言った。
彼女も笑った。
暫くして、彼女は、
”本当は、アタシも結婚して家庭を持ったりしてみたかったんだ。 

でも、結婚できないのは、分かっている。 

だから結婚できなくても良い。 その事実は、受け入れているから。。。”
と言って、少し目に涙をためていた。
彼女は、自分の先が短い事を、もう知っていたのだろう。
あの日の後、何日かして僕は、彼女にプロポーズをしようと決めた。

そして彼女には内緒で、僕は、アイディアを込めたエンゲージリングを作りはじめた。。 
★彼女にその指輪を渡せない事も知らないで。。。。★

あれから季節はめぐり、また木々は、燃えるような赤い色に葉を染めている。



2007年11月20日  みぞれ混じりの雨

今朝は、みぞれ交じりの雨だった。
そらから降って来るのは、確実に雪なのだが、
地上に落ちる頃には、氷と雨になっていた。
ニューヨークでは、今年最初の雪/みぞれかもしれない。
今年初めて、セーターを着た。
もうそんな季節かと思うと、少し哀しい。。。 僕は、寒いのが苦手だから。。

みぞれ交じりの雨の中を、濡れながら自分の車のところまで歩いた。
空は、暗く低く、エンパイアステートビルのてっぺんは、
低く垂れ込めた雲の中に霞んで見えない。
車に乗り込み、ジャンバーについたみぞれを払い落とし、車のキーを入れた。 

ニューヨークの道路は、雨になると渋滞が、より酷くなる。
この街では、アグレッシブでないと生き残る事ができないが、
朝のラッシュも同じだ。
僅かの隙間に車の鼻先を強引に入れ込んでくる。 
歩行者も信号に関係なく、僅かの隙を縫って、道路を渡ろうとする。
強くなければ、生きていく事が出来ない街、ニューヨーク。

そんな喧騒の街の中を、みぞれ混じりの雨に濡れながら、僕は、車を走らせていく。
赤信号に捕まり、交差点の手前で、道を渡る人々が行き交うのを眺めていた。

不意にカーラジオから、昔彼女が好きだった曲が流れてきた。
彼女と映画を観にいった時に、映画のワンシーンで使われていた曲だ。
映画館で隣に座っていた彼女が、
いつも同じように僕の二の腕に手を回して腕を撫でていたのを思い出した。

そして、何となく右手の二の腕に彼女を感じたような気がした。

何となく、ホッとした優しい気持ちになった。
信号が青にかわったが、一人の老婆が、まだ交差点を渡りきらずにいた。

僕は、そのまま老婆が交差点を渡りきるのを待った。
後ろの車は、僕にクラクションを鳴らし始めたが、
僕は、老婆に向ってクラクションを鳴らして、彼女をせかすような事はせず、
彼女が渡りきるのを見届けてから、車を走らせ、
バックミラー越しに後ろの車に手を振って見せた。

右手の二の腕に感じた彼女の温もりを確かめたくて、
僕は、自分の左手で、彼女がするように、自分の腕を触ってみた。



2007年11月24日  何もしない

昨日は、一日七面鳥係で忙しかったので、今日は、何もしない。
そう心に決めて、今日は、ゆっくりする事にした。

昨日は、17−18度まで気温が上がったのに、
今日は、一気に冬日に戻り、今は、4度まで気温が下がっている。

肌に刺すような冷たさだけれども、何故か心地よい気がする。

僕は、Tシャツの上にボマージャケットを着込んで、
ベランダに腰を下ろして川面を眺めながら、ゆっくりとタバコを吸った。

気温が低い分、空気が澄んでいるようで、遠くまで見渡す事が出来る。
椅子に足をのせ、Palisadeの紅葉を遠くに見渡しながら、タバコの煙をゆっくりと空に解き放った。
最近、僕は独り言が多くなったような気がする。
自分に話しかけているような。 ここにはいない彼女に話しかけているような。

誰も座っていないとなりの椅子に彼女の面影を感じながら、
二人で川面を眺めるように、僕は、川面を眺め続けた。

君と一緒に、川面を眺めたいな。
君と一緒に、対岸のPalisadeの紅葉を愛でたいな。

こんな寒い日に、君と二人で、暖かい洋服を着込んで、
冷たい風に顔をあてたらどんなに気持いいだろうな。。
そんな気がした。
彼女のかわりに、僕は、ベランダの菊に水をあげた。
冬の冷たい空気の中で凛としている菊は、なんとも言えず美しい。
君にもこの菊が見えるかな?
あるいは、君も手を添えて、僕と一緒に水をあげているのかな?
きっと、菊には、僕に見えない物が見えるのかもしれない。
凛とした冬の空の下、自然には見えるものが、僕には見えないのかもしれないな。
昨日は、友達と大騒ぎをしたけれど、僕の心の中には、いつも君がいる。
騒げば騒ぐ程、哀しくなるのは、何故だろう。
馬鹿をすればする程、君に会いたくなるのは、何故だろう。
いっそのこと、酔っぱらってしまったら、君の声を聞く事ができるかもしれないね。



2007年11月26日  Jersey Girl

紅葉が綺麗だった木々も、段々葉を落とし始め、
茶色の枝をさらすようになって来た。

今日は、まだそれほど寒いと言う程ではないが、
今週末は、最低気温が氷点下2−3度までさがるそうだから、
もう冬がやって来たのだろう。

今日は、友達とニュージャージーの別の友達の家に出かける事になった。
最近結婚した彼らの家の細々した事を手伝う。
年末は、どうもこういう人の手助けの用事がどうしも多くなる。
僕自身も来週には引っ越しがあるので、人の助けを借りたいのだが、
彼らはちゃんと僕を助けに来てくれるだろうか?

まあ、人の助けは、期待せずに自分の力でやらないといけないのだが。。
街を歩いていて、クリスマスの飾り付けを見ると、去年のクリスマスを思い出してしまう。

彼女の病院で過ごした二人だけの静かなクリスマス。。
雨が、降っていたっけ。。
彼女にあげた色々なプレゼント。。
あの時にあげたパリ行きの飛行機チケットは、指輪と一緒に海に沈めてしまった。。
彼女が初代理事長だった、基金は、あの後、
僕のビジネスの浮き沈みで色々あったけれど、ようやく何とか立ち上がり、動き出した。

色々な人の助けに会ったけれど、最後に協力をしてくれたのは、
ブラッド ピットとクリントン元大統領だった。

僕の人生で、僕がした唯一の人の役に立つ事だったかもしれない。
あれから月日がたち、僕は、一人で彼女の夢を追い続けている。
僕が死んで、彼女に再会した時に、自分のして来た事を誇れるように。
この世の中は、僕にとっては、寂しすぎるけれど、
いつか君に再会するときの事を楽しみに、
一つ一つの出来事を噛み締めながら、毎日を行きて行く。

君がこの世で出来なかった事を少しでも僕がして、
どこまでできたのかを君に伝えないといけないから。

冬の凛とした空気は、少しだけ、君を近くに感じる事が出来るような気がする。

ハドソン川にかかる橋を車で渡りながら、僕は、ふと彼女の事を思った。



2007年11月28日  考えてみると

僕の人生には、色んな事があったけれど、
自分ってポジティブなんだなって思った。(笑)
今頃、そんな事を思うなんていうのも可笑しいけれど、
基本的には、ノーテンキでポジティブじゃないと、やってられない。
と言う事で、何があってもポジティブに、
良い方向に考えるようにしているおめでたい奴です。(笑)

昔は、結構色々な事で悩んだり、迷ったりしたけれど、
最近は、もう悩む事にも疲れたのかもしれない。
昔の友達と久ひざに飲んだ時に
お前はなんか”角がとれたな。”って言われた。
歳を取ると言うことは、そう言う事なのかも知れない。

思いつめて暗くなっても、状況が改善するわけではない。

だったら、最後の最後まで、とことん頑張るけれど、陽気に頑張った方が、
周りにも迷惑がかからないし、自分にとっても良いかなって思うようになった。

だから、泣きたい時にも笑う。
無理をしてでも笑う。
笑うしかないからね。。 マジで。(笑)


  大変な時でも、ポジティブに前向きに陽気に生きるって、
  自分の周りにいてくれる人への愛情表現でもあり、エチケットだと思うんだよね。
  人を愛するってそういう所から始まるのかなって思うようになった今日この頃です。 (笑)

  辛い時こそ笑うんだよね。 自分を元気にして周りを元気にしないとね。




2007年11月29日  古いもの  物を大事にする。

思ったよりもチェルシーのアパートの準備が早く進んだので、
12月4日の引越しを12月1日に繰り上げる事にした。

今朝は、仕事場に行く前に、アパートに立ち寄って改装状況を見に行った。

キッチンに新しい冷蔵庫を置き、バスルームの中身を一式新しいものに替えた。
 僕が立ち寄った時には、ちょうど業者さんが、バスルームを直しているところだった。

小さいアパートだけれども、南向きで、南側は前面ガラス窓なので、
非常に明るい。 ペンキも買い揃えたし、後は、1日を待つだけになった。

自分の新しい生活が始まるようで、何か楽しい気持ちがする。
僕は、暫く業者さんと話をした後で、車に乗り、仕事場に向った。

友達と夜、ディナーをしながら相談に乗る事になっていたので、
夜8時過ぎまで働き、待ち合わせ場所のベトナムレストランに車で向った。

火曜日の夜なのに、めずらしくレストランは、一杯だった。

レストランの奥のテーブルに友達を見つけ、
僕は、彼女のところに歩み寄り、席に座ると、
センセアの白ワインのボトルを頼み、友達の話を聞き始めた。

食事をしながら友達の話を聞いた。 
食事が終わってレストランを出た時には、既に11時近かった。

友達を送って、自分の家に帰り、クリスマスツリーを眺めながら、
コーヒーテーブルに足を投げ出し、ウイスキーグラスを片手に、タバコに火をつけた。

何気なく手にした、ジッポのライターに目をやった。

そういえば、僕は、このライターを25年近く使っている。
昔は、綺麗な金色の真鍮製のライターも、今は、くすんだ色になっているが、
なんともいえない存在感を持ったライターになっている。

伊達に古いだけじゃないぜ。と無言のうちに押し出す存在感。。
やはり道具も使い込む事で、味が出てくるのだと思う。
僕の周りの愛する人たちは、皆、僕から遠いところに行ってしまい、
僕は一人きりになってしまった。

でも僕が愛した道具達は、まだ僕の周りで独特の光を放っている。
新しけりゃ良いってもんじゃないんだぜ。とでも言うかのように。。

持ち物で、持ち主が想像できるように、
持ち物と付き合いたいなと思いながら、
僕は、そいつで新しいタバコにまた火をつけた。


  それは人の自由だから、僕は何も言わないけれど、僕は、
  どんどん新しいものに買い換えるよりも、
  一つのものを使い込みたいタイプなんだよね。
  それで使い込んでいく事で、物とも情が繋がっていくって言うか、
  そういう付き合い方をしたいです。 物にも心があると思っているから。
  有名なギター工房があるんだけど、そこで丹精込めて作られたギターは、
  ギター完成時に3日間、素敵な音楽をギターを聞かせるんだって。 
  そうすると、ギターの音色が変わるんだって。
  水の結晶って言う有名な話があるけど、水を入れたコップの下に、
  ”ありがとう”とか愛のある言葉を書いた紙を置いておくと、
  水の結晶が綺麗になるんだけど、コップの下に
  ”馬鹿”とか”死んじまえ”とか汚い言葉を書いた紙を置いておくと、
  水の結晶が汚くなるって言うじゃない?
  その話ではないけれど、僕は、物とも情を持ってとことん付き合いたいと思うんだ。
  そう、これはお気に入りのライターなんだ。
  僕とずっと一緒だから、楽しい時も悲しい時も一緒だったんだよ。 
  楽しい時に吸うタバコ。 悲しい時に涙を流しながら吸うタバコってね。(笑)
  オイルライターって、オイルを補充しながら使うんだけど、
  オイルにオーデコロンを混ぜたのを入れると、タバコの火をつける時に、
  独特の良い匂いがしたりとか、ライターの炎の色を変えたりとかして、
  個性を出すんだよね。 楽しいよ。(笑)





2007年12月04日  12月になって

もう12月になり、もうすぐ一年も終わる。

毎年、一年が経つのは早いと思うけれども、ここ数年は、本当に早い。
今年は、色々な事がありすぎた。 
辛い事が多かったな。 
心が洗われるような事もあった。
思い通りに事が進まない事も多かったけれど、
それでも信じた道に向って歩き続ける覚悟もできた。

あと一ヶ月。 悔いが残らないように、懸命に生きよう。
僕にできる事は、その位だけだから。。

今夜は、仕事関係者を集めての懇親ディナーがある。
どんなところで食事をしたら良いか色々考えたのだけれども、
殆どのレストランは、行き尽くしたし、なかなか良い案が、浮かばなかった。

参加者も20名程と少なくはないので、なかなか適当な場所がない。

色々考えた挙句、ちょっと奇をてらって、
今夜は、自分達が料理をするレストランで懇親ディナーをする事にした。

要は、レストランの大きなキッチンスペースを自分達で借り切って、
そこで皆で、ワインを飲みながら一緒に協力して料理を作るというものだ。

きっと、船頭多くして船は、山に登ってしまうのだろうが、
たまには、こういうのも楽しいかな?と思った。

どうなることやら。。。

僕にとっては、仕事関係の仲間も大事な家族だ。

人の出入りが激しいこの業界で、
僕の所は、人が動かないのが有名になっている。たまに、同業者から、
人を繋ぎとめる秘訣は、なんですか?と聞かれる事がある。

僕は、ただ笑って、”人を心から愛する事。 
自分が人に何が出来るのかを常に考える事。それしかない。”と答えている。

僕が払っている給料は、決して安くはないけれど、ある競合者は、
2倍の給料を積んで、僕の所から引抜をしようとしたことが何度もある。

金は、大事だけれど、金は、全てではない。

僕は、問題は、同じ夢を共有する事。
その夢に向って少しずつでも良いから前進する事。 
そして自分が社会に貢献している事を感じ、
自分自身が成長している事を感じ取れる事だと思う。

だから僕らは、何度も死線を越えてきた。
去っていった人たちもいたけれど、残る人も沢山いる。

困難に直面した時に、誰でも怖いし辛いけれど、困難に直面した時に、
何をしたのかが、自分の将来にとても大事だと言う事を、
みんなわかっているからだと思う。

そんな奴らが一同に会して、今夜は、酒を片手に料理を作る。
およそ料理をした事もないような奴もたくさんいるけれど、
それはそれで楽しそうだ。
僕にとっては、皆が家族の一員みたいなものだからね。

人から何をして貰うかじゃなくて人に何ができるかを考えるようにしないと、
なかなか人って定着してくれないんだよね、僕の場合は。(笑)




2007年12月07日  急の仕事で日本へ、

急の仕事で、日本に行かないといけなくなった。
金曜日から新しいアパートでの生活を始めるのだけれども、
一夜明けた土曜日の飛行機で日本に行く。
折角、週末は、ペンキを塗ろうと思っていたのだけど、仕事だからしょうがない。
日本滞在は、一週間なので、ペンキ塗りは来週末にお預けだ。



2007年12月08日  新しいアパート  里子のこと

昨日、夜遅くまで洗濯等をしたお陰で、
ようやく今晩から新しいアパートで眠る事ができる。

今まで住んでいた家も、そのまま残すので、
気分によって眠る場所を変えられると言うのは、ちょっと贅沢な楽しみだと思う。

贅沢だけれども、今まで頑張って生きてきたのだから、
少しぐらい自分にご褒美があっても良いかな?と思う今日この頃だ。

彼女が住みたかったウエストビレッジに近いチェルシーに住むと言うだけで、
何故か、彼女と一緒に住むような錯覚に陥る。

情けない男だけれども、錯覚でも良いんだ。 錯覚でも幸せだから。

僕は、幸せな気持ちにちょっとなりたいだけ。 ただ、それだけだ。。

部屋自体は、600sq Feetだから決して広くはないけれど、
一人で住むには、それで十分だ。 余計なものは、
古い家の方にまとめて置いて、新しい家には、
自分の好きなものだけを置こうと思う。

そういう意味もあって、僕は、彼女が買いたがっていた
赤いスツールを骨董品屋さんで買ってきた。

スツールを抱えて、アパートの中に入ると、
彼女を抱えてアパートに帰ってきたかのように錯覚をした。 
思わず出会ったばかりのスツールに、”おかえり!”と声をかけたくなってしまうほど。。

この部屋では、新しい愛に満ちたCreativeな仕事がしたい。

色々新しいアイディアで、人々に笑顔をプレゼントできるような事を考えたい。 
人の笑顔を夢見る部屋にしたい。 それが、僕が彼女から学んだ事だから。。

彼女の事は忘れないけれど、彼女の影だけを追いかけてもいけない。

彼女の気持ちを昇華して、新しい僕として、人の為に生きる。

彼女の志を受けて、彼女の分までも人に尽くそう。

その為に、僕には、この部屋が必要なのだ。

ペンキ塗りには、時間がかかるが、まだステレオセットとかを出していないので、
5番街のアップルストアに行き、JBLのミニスピーカーを買ってきた。

これで、気持ちよくペンキ塗りができる。(笑)

その前に、ちょっと日本に行って仕事をしなければならないけれど。。

土曜日に無理やり時間を作って、
僕が保証人をしている里子達を引き連れてディズニーシーに行く事にした。

親のない子供達だって、小学校に行って休みに何をしたか
友達同士で話をしたいだろう。
別に特別な事をしなければいけないなんていう必要はないのは事実だ。 
世の中には、そんなイベントなどなくても、幸せに生きている人たちがたくさんいる。

だから、子供達をそんなところに連れて行こうなどと言う考えは、
僕の不遜のなせる業かもしれない。。

僕は間違っているかもしれないけれど、
僕が、子供だったら、やっぱり年に一度くらいは、クリスマスくらいは、
どこかに連れて行って欲しいと思うから、自分の気持ちに素直になって、
子供達を誘ってみようと思う。

血のつながりがなくたって、赤の他人だって
愛しているんだと言う事をわかってほしいから。 
そして、自分達が大きくなったときに、今度は、自分達が、
そう言った境遇の子供達に愛を持って接してくれたら、
僕の罪で汚れた心が浄化されて、天使に許してもらえるような気がするから。。

ニューヨークは、気温が下がり、今日はまた雪になるかもしれないそうだ。
地上に墜ちた星のように美しく輝く5番街のスノーフレークを見ながら、
家に帰ろう。。 僕の新しい家に。。



2007年12月16日  夢を信じる事、人を信じる事、自分を信じる事   里子

予定外の日本での仕事で、ニューヨークの色々な予定は狂ってしまったが、
兎に角、仕事で成果を出さないといけないので、
何とかやりくりをつけて師走の日本に向った。

寒いと聞いていたので、成田に着いて、
暖かさにちょっと拍子抜けしたけれど、僕は、寒いのが苦手なので、
僕にとっては、嬉しい誤算だった。

空港に来ていた迎えの車に乗り、東関道を東京へ向った。
車の窓を少し開け、タバコに灯をつけた。

14時間タバコを吸っていなかったので、ちょっと頭が覚醒された。

そんなときに僕が吸うのは、PALL MALLの両切りタバコだ。
フィルター無しの両切りタバコが、健康に悪いのは知っているけれど、
目を醒ます時には、僕にはどうしてもこれが必要だ。

日曜日だったが、僕は、ホテルに着くなり、
仕事関係のディナーがあり、シャワーを浴びて身繕いをして銀座に出かけた。

月曜日から金曜日までは、忙しく働き続けた。
思うような結果が出せなかったけれど、あと3ヶ月あるので、
その間に何とかさせなければいけない。

周りの人は、懐疑的だけれども、僕には勝算がある。 
そして、3月末に結果を出せなかった時には、潔く責任を取るだけだ。

夢を見続けること、そして夢が叶うと信じる事。
今の僕を生かせているのは、その気持ちだけだ。

日本でテレビを見てくつろいでいる時に、
たまたま韓国人の仕事上の友達が日本の番組でインタビューを受けていた。

彼は、確かに成功をしていたし、その成功のお陰で幸せだと言っていた。

成功を収め、それを守りきるタイプの人もいる。
でも、僕は、自分を追い詰め続けないと生きていけないタイプだ。

だから自分を追い詰め続ける。 夢を見続けながら。

夢は叶うと信じ続けながら。

僕は、何人分もの異なった人生を一度に歩んできた。 

でも、その全てが、闘い続ける人生で、どれ一つとして弱みを見せられる人生は無かった。

僕は、築地の青果市場の近くに、果物を梱包する小さな会社を一つ持っている。 
里子の世話を始めた後に、彼らの親達や、
彼ら自身が大きくなってきたときに働く場所がないと、
日本の当局はなかなか融通がきかないので、面倒に思って、
彼らが働く事ができる小さな会社を一つ作った。

その会社は、全く儲からない。 
でも、子供達の為に、人生をやり直そうと誓った不法入国者達が、
その子供達の為に、誇れる親であろうと頑張る事ができる場である事ができればと、
僕は思っている。

土曜日は、約束どおりに、里子達をディズニーランドに連れて行った。

親がいる子達は、親も連れて行ったので、結構な人数になった。
朝から、夜の10時まで、まるでツアーガイドのように走り回った。
お陰で、中国からのツアーのガイドさんには、ガイドと間違われ、
帰る頃にはお友達になってしまった。(笑)

疲れきってしまったけれど、あれだけ子供達の喜ぶ顔が見れたから、僕は、満足だ。
一緒についてきた親たちも嬉しそうだった。

僕は、日曜の夜に仕事のディナーの前に、銀座の博品館に行き、
人数分のクリスマスプレゼントを買った。

築地の会社を預かる従業員に、
クリスマスの前にそれらを博品館まで取りに行ってもらい、
サンタクロースのふりをして子供達に上手くそれらを渡してもらう事にした。

別にクリスマスを宗教的に祝う必要は無い。 
僕が、彼らに伝えたいのは、誰から、彼らを愛しているという事。 
ただそれだけ。。

別にプレゼントがあるから愛があるというわけではないけれど、
他の友達が親からプレゼントを貰っている時に、悲しい思いをさせたくはない。

いずれ、大人になった時に、全てがわかり、
サンタクロースなんていないって言う事がわかった時に、
それでも彼らを愛していた男がいたという事を思い出してくれるだけで良いのだ。

僕は、愛に飢えている。 だから、人に愛を与える。
自分が愛されなくても、人を愛する事で、何となく愛を確認する事ができる。
ちょっと屈折しているけれど、人を愛するという事は、
僕にとっては、自分を愛するという事なのだ。

全てが終わり、僕は、日曜の朝、一人成田でニューヨーク行きの飛行機を待っている。
僕の生活は決して安定していない。
リスクの大きすぎる生活だ。
止まったら、負け。 ひるんだら、負け。。
だから、生き残る為には、闘い続けるしかない。
夢を信じ、自分を信じ、人を愛し、信じるだけ。
もうすぐ、フライトの時間だ。



2007年12月17日  帰ったら雪。。  里子

怒濤のような日本での一週間が終わり、
僕は、日曜日の12時の飛行機でニューヨークに戻って行った。

いつもは、金曜日まで働いて土曜にフライトで帰るのだけれども、
今回は、里子達をディスニーランドに連れて行く約束を守るために、
土曜日は日本にいて、日曜日に帰る事にした。

いつもは、時間がもったいないので、
仕事が終わるとさっさとニューヨークへ帰るのだけれども、
今回の方が、優しい気持でニューヨークに帰れた気がする。

やっぱり、子供達と一日を過ごして、一緒に笑って、
彼らの微笑みを体で感じる事が出来て、そういうふれあいが、
僕を優しい気持にしたのかもしれない。

ディズニーランドで、里子達と一緒に花火を見ていると、
僕が最初に里子にして8歳になる女の子が、
僕を見上げて、”Toshは、どうしてお嫁さんいないの?”と聞いた。

僕は、彼女と手を繋ぎながら、花火を眺めていたが、
彼女の顔を見て微笑んで、”僕には、大好きな人がいるんだよ。 
気持を綺麗にしないと見えないんだけどね。 
だから、彼女を見る事ができるように、
僕は、一生懸命心を綺麗にしようとしているんだよ。”と言った。

その子は、僕を見上げて微笑んで、”Toshは、綺麗な心を持っているよ。
だからそのうち見えるようになるよ。”と言ってくれた。

僕は、思わず笑ってしまい、彼女の手をもう一度握りしめて、花火を見上げた。

優しい気持を握りしめて、僕は、いつものように飛行機の中で眠りについた。
一週間分の睡眠を取るように、食事もせずに眠り続けた。 
目をつむっていても涙がこぼれ続けるけれど、それは悲しいからじゃない。
暖かい心に触れる事が出ると溢れだす涙って言えば、わかってもらえるかな?

ニューヨークに着く頃に、目を醒ました。
飛行機が高度を下げ、厚い雲を突き抜けると、
見慣れた街が、灰色の空の下に濡れていた。



2007年12月20日  ソファ到着

ワインレッドのソファを注文したが、ようやく出来上がり、
昨日の昼にアパートに届けられた。

日本と違って、アメリカの配達は、時間が大雑把なので、
配達の日は、一日アパートで待っていないといけない。

日本から帰ってきたばかりで忙しかったのだが、
仕方ないので、休みを取ってアパートで配達を待った。

午後になるかな?と思ったけれど、11時過ぎにアパートにトラックがやってきた。
思った以上に大きかったので、アパートの中に入れるのに
ちょっと手間取ったけれど、何とか無事に搬入された。

茶色の壁とワインレッドのソファが、マッチしている感じがして、
妙に自己満足。(笑)
これから、ここでカウチポテトな生活が始まるような気がする。(笑)

去年、彼女と一緒に家を探していた頃に、
彼女は、”家を買ったら、こんなソファが欲しいな。”と言っていた。

二人で夢を語っていたあの頃が、一番幸せだったし、楽しかったな。
そんな思い出のソファが、僕の家に来た。
物にだって心はある。 折角僕の家に来たのだから、
楽しい思い出を作って欲しいな。



2007年12月21日  

昨日の夜は、僕の仕事場のクリスマスパーティをやった。

マンハッタンの某ホテルのボールルームを借り切って、
全従業員とその家族を招待した。

例年通り、生バンドを雇って
、ボールルームでダンスが出来るようにセットアップをし、
家族や子供達の為に、ビンゴを準備した。

従業員とその家族達の笑顔を見るのは、やはり嬉しい。 

この会社は、毎年毎年が、綱渡りなので、いつもこの季節になると、
”来年は、彼らの笑顔を見る事ができるのだろうか?”と不安になる。

僕を信じてついてくる人たちの顔から笑顔を絶やさないようにするのが、
僕の仕事だ。

そのためには、どんな状況になっても、僕は夢を諦めず、夢を信じ続ける。 
そして、最後の最後まで、希望を繋ぐように、知恵の限りを尽くして対策を練り、
行動し続けないといけない。 それが、僕の仕事だから。。

丁度盛り上がってきたパーティを背にして、僕は、師走の街に出た。
午後から雨が降ったので、夜になってもまだ街は、濡れていた。
濡れた道路に写った街のクリスマスの灯りが、より街を美しく彩っていた。
僕は、夜の風に吹かれながら、少し遠回りをして家に帰った。

夜風に吹かれながら、従業員の家族達の笑顔を思い出した。 
最後まで夢を諦めずに、彼らの為に、そして自分の為に、
自信を持ち続けなければいけないと思った。

逆境の中で自分に自信を持ち続ける事は難しい。
自信を持ち続けると言えば、日本でも有名になった
アメリカン アイドルのイギリス版に出たある男の話を思い出した。

その男は、風体のさえない電話会社の営業マンで、
アメリカン アイドルに応募し舞台に立った。

彼は、
”自分の夢は、自分がやるべきことをやって人生を送る事だ。
自分は、唄をうたって人生を送りたい。
でも、それを実現する為に、自信を持ち続ける事は、難しい。”と語った。
舞台に立った彼は、不安に満ちた今にも泣きそうな顔。。 
風体のさえない彼が、更にみすぼらしく見える。

彼と会話をする審査員の態度も何故か突き放したように冷たい。
今にも泣き出しそうな顔のまま、彼は、オペラを唄い始める。
その歌声に、驚く、観衆、審査員。。
そのうちに、会場は声援と拍手に包まれ、彼の熱唱はクライマックスを迎える。
どうせテレビの事だから、やらせかもしれない。

それでも風体のさえない彼が、折れそうな気持ちを何とか支えながら、
泣き出しそうな顔で唄うオペラを見て、
僕は、何故か自分を信じ続ける事の意味をいつも考えてしまう。

唄い終わった後、観衆や審査員に喝采をされて、
満足感と達成感から、別の意味で泣き出しそうな顔になる彼。。

諦めない事。 自分を信じ続ける事。。
生きると言う事は、そういうことなのかもしれない。。



2007年12月23日  日本は、もうすぐイブ?

日本は、もうすぐクリスマス イブだね。
丁度、今、ニューヨークは、土曜日の夜10時をまわった所だ。
今日は、曇り空だったけれど、気温は、6度近くまであがった。 
明日は、雨らしいが、気温は、11度近くまであがるらしい。
どうやら、ニューヨークは、暖かいクリスマスになりそうだ。

今年のクリスマスは、何年かぶりで一人で過ごす事になる。
ここ何年かは、彼女と一緒だったし、その前は、メキシコに行ったり、
カリブに行ったりしていたから、ニューヨークで一人で過ごすのは、本当に久しぶりだ。

今年のクリスマスは、一人でゆっくりと、これからの事でも考えてみよう。
たまには、そういう時間も必要だ。


彼女の事を思いながら、彼女の声が聞こえるように、天にむかって語り続けてみよう。

彼女の事を思いながら、彼女の笑い声が聞こえるように、天に向かって唄を唄ってみよう。

彼女の事を思いながら、彼女の温もりを感じられるように、優しい気持になってみよう。

彼女の事を思いながら、彼女の愛を感じられるように、身の回りのものに愛情を注いでみよう。

僕のこんな気持が、届くかな?

僕のこんな言葉が、届くかな?

彼女が生きている時に、僕は、よく冗談で、彼女に、
”君が、僕の事を愛しているのは知っているけれど、
僕が君を思う気持の方が、大きいよ。”と言っていた。

僕は、いつも彼女に振り回されていたし、
大好きな彼女に振り回される事が大好きだったけど、
たまにそのお陰で寂しい想いもした。 それほど、彼女が大好きだった。

僕がそう言うと、彼女は、いつも僕に微笑んでみせて、
”貴方が気づいていないだけで、アタシも貴方がアタシの事を
思ってくれている以上に貴方の事を思っているのよ。 
でも貴方は、それに気づかない。”と言って、僕の鼻をつまんだ。

でも、今となっては、君は、天国に行ってしまった訳だから、
僕の気持もお見通しな訳で、こんな僕の気持をみて、
”やっぱり貴方の気持の方が、大きいね。”と言って笑ってくれるかもしれないし、
”やっぱりアタシの気持の方が、大きいよ。”と言って、また僕の鼻をつまむかもしれないね。

いずれ君に会えるというのは、わかっているけれど、
やっぱり一目でも良いから君と言葉を交わしたいし、君を抱きしめたい。

そんな事を考えながら、僕は、今夜もウィスキーの海の中に溺れていく。



2007年12月24日  嵐のような日曜日

部屋の中は、明るくて暖かかったが、窓の外には、
強い風が吹き、雨粒が、窓に叩きつけられていた。

新しい家に引っ越して、良かったなと思った。
そして、僕の最愛の人と、こんな小さくて暖かい空間で時間をともに過ごす事を考えた。
友達が帰り、僕は、一人でソファに包まれながら、夜のニュースを見ていた。
そして新しい絨毯を敷いた部屋を、もう一度見回した。
もう彼女はいないのに、全ての調度品が、彼女の趣味でそろえられている事に気がついた。
ワインレッドのソファ、赤いスツール、家具、絨毯。。 
まるで彼女の部屋みたいだな。。と僕は、思って苦笑をした。
これで、君がいたら、完璧なのに。。
一番大事なものがいない。。
部屋が出来上がっていけば、いくほど、虚しく感じるのは、
やっぱり一番大事なものが、いないからなのかもしれない。



2007年12月26日  武器よさらば

イブは、久しぶりに一人で過ごした。久しぶりに良く眠れたような気がする。

クリスマスの今日は、朝から天気も良く、気温も平年より高かった。
僕は、午前中、いつもより時間をかけてゆっくりとジムで運動をし、
2時間程みっちり汗を流した。

ジムから帰り、友達に電話をして連絡をとり、
何人かで集まって久しぶりにチャイナタウンで北京ダックを食べる事にした。

中華料理は、どうしても大人数でないとつまらないので、
クリスマスにニューヨークに残っている友達を電話でかき集めて、
久しぶりに彼らと飲んだくれる事にした。

クリスマスには店を閉めてしまう所もあるけれど、
さすがに中華料理屋は、年中無休でやっているので、
こういう時には、非常に助かる。

夕方5時くらいに皆で集まって、小龍包、餃子等の点心、
フカヒレスープ、ホット&サワースープ等のスープ類、
蝦、牛肉、鶏肉、豚肉、魚。。 
大人数を頼りに、たくさんの料理を注文した。 
酒も紹興酒、老酒等をこれまたしこたま注文した。

去年は、彼女の病室で二人きりのクリスマスだった。

今年は、古い友人達と、大勢でチャイナタウンのクリスマスだった。

久しぶりに大騒ぎをして、酔っぱらった。

食事も終わり、他の友達は、別の場所に飲みに出かけたが、
僕は、彼らと別れ、一人夜風に吹かれながらチェルシーのアパートまで歩いた。

僕は、夜風に吹かれながら、星の出ていない夜空を見上げ、
彼女に、”メリークリスマス”と言ってみた。

彼女からの返事などあるわけもなく
僕は、ただ無言のまま暗い夜空を見上げ続けた。
去年、彼女にクリスマスプレゼントをした子供達の基金は、
ようやく無事に動き始めた所だ。

今年は、僕は、彼女にどんなクリスマスプレゼントをすれば良いだろう?

ふとそう思い、考え込んだ。

生きている人に対するクリスマスプレゼントであれば、
アイディアもでるが、死んでしまった人に対しては、
どんなプレゼントをすればよいのだろう?

僕は、夜空を見上げながら、考え込んでしまった。。
タバコをポケットから取り出し、それに火をつけながら、考え続けた。

彼女に出会うまで、僕は、自分に嘘をつきながら、強がって生きてきた。
他人を泣かせたり、傷つけた事もあった。生き残る為に毎日、闘いの日々だった。

血も涙も無い奴だと言われた。人の恨みも相当買った。

僕にとっては、生きるという事は、そういう事だった。

そんな僕が、彼女と出会って、彼女の生き方を見て、
僕もこうありたいと思った。

彼女に恋をして、彼女に認めて欲しくて、
過去を悔いて真っ当に生きたいと思った。

僕の手は、罪で汚れていたけれど、許しを乞う為に、
人の為に自分の命を使う事を誓った。

少しでも彼女に近づく為に。。 少しでも好きな人に認めてもらう為に。。

彼女が死んだ今でも、僕は、変わらず人の為に、
この命を捧げたいと思っている。

彼女を早く失ったのは、僕の罪の所為かもしれないと思っているから。。

こうやって人の為に自分の命を捧げていれば、
自分が死んだ時に、彼女に会わせて貰えるかもしれないと期待しているから。。

何本目かのタバコに火をつけ、酔いもすっかり醒めてしまったが、
僕は考え続け、ある結論に達した。

僕は、愛をもって生きる。。だから、僕には、もう武器はいらない。

僕が持っている武器は、全て処分してしまおう。

そして愛だけを持って自分の人生を全うしてみよう。 
それが、天国で僕を待ってくれている彼女へのクリスマスプレゼントなのだ。

武器よさらば。。 それが、今年の彼女へのクリスマスプレゼント。。

僕は、日本に住んでいる頃から、剣道と居合いをやっていた。 
居合いの関係で、日本刀を持っている。 古刀を集めたりもしていた。

抜刀の一撃に自分の命をかける。 
そんな居合いが、僕の生き方によくあっている気がした。

アメリカに渡っても居合いは続けたが、郷に入れば郷に従えで、
拳銃射撃を始めた。 学校に通い、射撃の腕をあげた。 
これも僕にとっては、居合い同様自己鍛錬、集中力を高めたい為だった。

生と死の紙一重の状況に自分を置く事で、
自分の可能性を試してみたかった。 というのは、表向きの理由で、
僕は、どこかで死に急いでいたのかもしれない。

そんな中で、僕の愛機は、コルト M1911A1という45口径の拳銃だった。

これも最初は、黒く塗られていたのだが、
十数年使い続けた結果、塗装が剥がれて地金の色が出て来てしまう程、使い込んだ。

今であれば、殆どの人が、使い易いベレッタの9mmを使うか、
ちょっと粋がった奴だったら、デザート イーグルあたりを振り回し、
いかにも古いM1911A1などは、誰も使わない。

射撃場に行くと、いつも新しい銃を薦められたが、
僕は、同じ拳銃を十数年使い続けた。 
ギターもライターも、一度手にしたものをとことん使い尽くすのが、僕の主義だ。

だから、このM1911A1も僕の体の一部になった。
でも、僕は、もう武器はいらない。。
これが、今年の彼女へのクリスマスプレゼントだ。
僕は、素のままの自分でいい。 
もう自分を強く見せる必要は無い。
自分を守る必要も無い。
敵がいたとしても、僕は、両手を広げて精一杯の愛を与えるから。
僕には、もう失うものは何も無い。
僕には、与えるものも一つしか無い。 無償の愛、一つだけ。
それが、僕から彼女へのクリスマスプレゼント。

体の一部になってしまったM1911A1に別れを告げるのは辛いけど、
奴も男だから、僕の気持を変わってくれるだろう。

さようなら。。 そしてメリークリスマス。。


  武器を持ちたがるのは、その人が弱い証拠なんだってさ。
  だから、もういらないんだ。



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